トルコ文化年 2019 |
'2018 11_21 会場:国立新美術館 3F講堂 (東京・六本木) にて 「 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美 」 の記者発表会が行われました。
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【記者発表会】 【主催者紹介】 ハサン・ムラット・メルジャン閣下(駐日トルコ共和国大使館 特命全権大使) 青木 保(国立新美術館 館長) 小松 潔 (日本経済新聞社 常務執行役員 文化事業担当) 松原 龍一(京都国立近代美術館 副館長兼学芸課長) 【主催者挨拶】 ハサン・ムラット・メルジャン閣下(駐日トルコ共和国大使館 特命全権大使) 青木 保(国立新美術館 館長) 【展覧会内容説明】 有木 宏二(国立新美術館 学芸課企画室長) |
トルコ文化年 2019 |
トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美 |
2019 Turkish Culture Year |
The Treasures and the Tradition of "Lâle" in the Ottoman Empire |
2019 年、トルコの多様な芸術や文化を紹介する 「トルコ至宝展」 を東京と京都で開催します。 アジアとヨーロッパにまたがる交易の要地・トルコは、多様な文化を受容し・融合し、比類ない美を育んできました。
本展では、イスタンブールのトプカプ宮殿博物館が所蔵する貴重な宝飾品、美術工芸品をとおして、花々、とりわけチューリップを愛でた宮殿の生活、オスマン帝国の美意識や文化、芸術観を紹介します。 |
2019 年はまた、新天皇即位の年でもあります。 オスマン帝国のスルタンと日本の皇室の交流を示す品々のほか、明治期の日本美術品を里帰りさせるなど、両国の友好関係にも光をあてます。 |
トルコ文化年 2019 ハサン・ムラット・メルジャン閣下 (駐日トルコ共和国大使館 特命全権大使) |
この展覧会を機会に、東京展、京都展で同時期にトルコ文化を紹介する様々な事業を企画して、2019 年日本にトルコ文化にふさわしい活動を会してまいります。 |
会期: 2019 3/20 [水]~ 5/20 [月]
休館日: 毎週火曜日※ただし 4 月 30 日(火)は開館 開館時間: 午前 10 時 00 分~ 午後 6 時 00 分 金・土曜日は午後 8 時まで開館。 4 月 26 日(金)~5 月 5 日(日) は午後 8 まで。) ※入場は閉館の30分前まで 会場: 国立新美術館 企画展示室2E (東京・六本木) 主催:国立新美術館、トルコ共和国大使館、日本経済新聞社 ………巡回展情報……… 会期: 2019 6/14 [禽]~ 7/28 [日] 会場: 京都国立近代美術館 (京都・岡崎公園内) |
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トルコ文化年 2019 |
東西文明の十字路で育まれた 歴史遺産・財宝、 約 170 点が急遽来日! |
「 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美 」 展覧会みどころ |
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オスマン帝国の栄華を今に伝える至宝約 170 点が、イスタンブルのトプカプ宮殿博物館から来日! |
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今回の展覧会では、トルコとチューリップに着目、「チューリップ」 が特徴となっている。 また、宮殿内に備わっている厨房、謁見の間、モスク、スルタン私室や書斎、ハレム、聖遺物の部屋、庭園、財宝室など様々な部屋の機能を企画展示室2E (2,000 ㎡) に、トプカプ宮殿さながらの個別空間を可能な限り再現し、宮殿の側面を紹介する構成になっている。 |
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Ⅰ. トプカプ宮殿について |
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《トプカプ宮殿》 俯瞰風景 |
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トプカプ宮殿は、1453 年、メフメト 2 世によるコンスタンティノーブル (現イスタンブル) 征服後、ボスフォラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に、新たな首都の宮殿として建設され、19
世紀半ばまで行政機関とスルタンの住居として使われました。 |
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「トプカプ宮殿博物館」 |
Ⅱ. アフメト三世の 「チューリップ時代」 |
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《スルタン・アフメト 3 世の施水場 模型 》 1893 年 |
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アフメト三世が亡くなった後で捧げられた建築物で、現在トプカプ宮殿の正面にあり、この模型が展示される。 アフメト三世のチューリップのゆかりのあるもので建物の両脇にチューリップのモティーフが刻まれている。 |
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「チューリップ時代」 (1718~1730) スルタン・アフメト三世 (在位 1703~1730) とその大宰相ネヴシェヒルリ・イブラヒーム・パシャは、チューリップの愛好家として語り継がれています。 宮殿はもとより、民家においてまで、春になるとイスタンブルはチューリップに溢れ、チューリップの宴が繰り広げられました。 17 世紀、品種改良も盛んになり、球根が投機の対象になるなどした結果、アフメト三世の治世下には狂気じみたチューリップ時代が訪れます。 |
《オスマン帝国軍艦エルトゥールル号》 (1890 年に和歌山県串本町沖で遭難) |
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トルコと日本の友好―トルコと日本の友好関係は、1887 年に小松宮彰仁親王ご夫妻がイスタンブルを訪問した際に、アブデュル・ハミト 2世(在位 1876~1909) から歓待され、これに対し。明治天皇が 1889 年に大勲位菊花大綬章を奉呈したことから本格的に深められていきます。 同年トルコ海軍の軍艦エルトゥールル号が日本を訪問し、翌年帰国途中に和歌山県串本町沖で座礁、沈没した海難事故は、まことに悲しい出来事でしたが、日本人によって乗員 650 人中 69 人が救出され、その際の献身的救出活動はもとより、野田正太郎 (時事新報記者)、山田虎次郎 (商人、のちに茶道宗徧流第八代家元) によって遺族へ義援金が届けられたことなどは、現在に至るまで、トルコと日本の大きな友好のしるしになっています。 |
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歴代のスルタンがそうであったように、アブデュル・ハミト 2世の卓越した芸術的才能に恵まれ、大工仕事や木工技術に長けていました。 アブデュル・ハミト 2世への贈答品として明治天皇から贈られた大工道具は、道具を超えて、心の交流を感じさせるものとなっています。 アブデュル・ハミト 2世は、日本の美術工芸品にも興味を持っていました。 アブデュル・ハミト 2世の宮殿には、日本の竹製の家具、芝山細工の飾り戸棚や机、七宝家具など、幕末から明治にかけてヨーロッパで流行した明治の貴重な調度工芸品が保存されていますが、これらの多くは、アブデュル・ハミト 2世と交流のあった山田虎次郎を介して納まれたと考えられています。 |
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トルコと日本の交流は、岩倉使節団員の島地黙雷 (西本願寺僧侶) と 福地源一郎 (ジャーナリスト、戯曲家) が 1873 年にイスタンブルを訪問したことに始まります。
その後天皇家とオスマン帝国の君主であるスルタンとの皇室外交、文民官民の往来など正式な国交が結ばれる以前からアジアの東西両端に位置する両国の交流は絶えることがありませんでした。 オスマン帝国終焉後、日本がローザンヌ条約を批判し、1924 年に正式な国交が結ばれてからも両国の友好関係は継続し、政治・経済・文化など幅広い分野において良好な関係が継続しています。 |
お問合せ:tel 03-5777-8600(ハローダイヤル) |
主催:国立新美術館、トルコ共和国大使館、日本経済新聞社 |
参考資料:「トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」 プレス説明会、PRESS RELEASE & 報道資料 、他。 |
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